典雅で流麗な擬古文調の翻訳。
森鷗外の名訳、アンデルセン『即興詩人』を雑誌掲載時の初出で臨場感を味わう。

即興詩人 初出影印版 

アンデルセン作/森鷗外訳/森鷗外が翻訳した「即興詩人」は、明治25年(1892)から明治34年(1901)にかけて、雑誌『しがらみ草紙』(『柵草紙』)、『めざまし草』(『目不酔草』)に計38回断続的に掲載された。それを影印して一冊にまとめたものである。
 
A5判並製カバー装・400頁/定価(本体5,400円+税)
ISBN978‒4‒903251‒19‒6
 


 
〈本書の内容〉
・『即興詩人』
わが最初の境界/隧道、ちご/美小鬟、即興詩人/花祭の上/花祭の下/蹇丐/露宿、わかれ/曠野/水牛/みたち/学校、えせ詩人、露肆/神曲、吾友なる貴公子/めぐりあひ、尼君/猶太の翁/猶太をとめ/媒/謝肉祭/歌女/をかしき楽劇/即興詩の作りはじめ/謝肉祭の終る日/謝肉祭の終る日のつづき/精進日、寺楽/友誼と愛情と/をさなき昔/画廊/蘇生祭/燈籠、わが生涯の一転機/基督の徒/山塞/血書/花ぬすびと/封伝/大沢、地中海、忙しき旅人/一故人/旅の貴婦人/慰籍/考古学士の家/絶交書/好機会/古市の上/古市の下/噴火山/嚢家/初舞台/人火天火/もゆる河/旧羈靮/苦言/古祠、瞽女/夜襲/たつまき/夢幻境/蘇生/帰途/教育/小尼公の上/小尼公の下/なきあと/未錬/梟首/妄想/水の都/颶風/感動/末路の上/末路の下/流離/心疾身病/琅玕洞
・「即興詩人」および初出誌『しがらみ草紙』『めざまし草』について
・初出「即興詩人」掲載一覧
 
〈本書解説より抜粋〉
「即興詩人」(Improvisatoren)は、デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen、一八〇五年~一八七五年)が一八三五年に出版した自伝的小説である。一八三三年から三四年にかけてヨーロッパ各国をめぐる旅に出た彼は、特にイタリアに魅了され、ローマ滞在中に「即興詩人」の筆をとり、デンマークに帰国したのちに書きあげたという。その内容は、イタリアを舞台に、親友の貴族ベルナルドオ、薄幸の歌姫アヌンチヤタ、小尼公フラミニア、盲目の美少女ララ、サンタ夫人、ヴェネツィアの美女マリアらの魅力ある人物や、飽きさせない波瀾に満ちた展開、イタリア各地の自然と風俗を美しく描いた物語である。この作品は、発表当初から大きな反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳され、彼を有名にした。彼が童話作家となったのは、このあとのことである。
明治二十二年十月に『文学評論しがらみ草紙』を創刊、発行所は新声社で、おもに森鷗外と弟の森篤次郎の二人で運営した。第三十八号(明治
二十五年〈一八九二〉)から「即興詩人」が断続的に掲載された(計十四回掲載)。鷗外は、この作品を「わが座右を離れざる書」として愛読していたドイツ語版から重訳した。鷗外が日清戦争に出征するため、明治二十七年(一八九四)八月の第五十九号をもって休刊となる。
『めざまし草』も森鷗外と弟の森篤次郎が中心となり運営した文芸評論誌である。明治二十八年(一八九五)九月、鷗外が台北から帰国。盛春堂から明治二十九年(一八九六)一月に巻之一(第一号)を創刊、巻之五十六(明治三十五年〈一九〇二〉)で休刊となる。創刊号の巻之一は、二千部が売り切れて増刷となった。この雑誌は文学評論が中心で、特に当代作家の新作に対しての批評が比重を占めた。「即興詩人」は巻之十四(明治三十年〈一八九七〉)からふたたび断続的に連載された(計二十四回掲載)。
明治三十五年(一九〇二)、『しがらみ草紙』『めざまし草』掲載の初出に修訂をおこない、春陽堂から菊判単行本の『即興詩人』上・下二分冊を刊行した。意訳を用いながらも、典雅な擬古文調の翻訳をみごとになしとげた鷗外訳『即興詩人』は、当時の青年たちに熱狂的に受け入れられたの
である。